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潤いのある社会に

この記事が気になって…。

 

沈黙を強いる力に抗って 世田谷一家殺人事件の遺族を苦しめてきたもうひとつの傷

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求めたのは亡き人との出会い直し 悲しみを「愛しみ」に変える物語を紡ぐ

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当事者が語る意味 つまづいた人に優しい社会を目指して

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考えさせられることになったのが

 

相模原の事件について、「…、何より『亡くなった方が幸せな命がある』という犯人の考えに自分も向き合わざるを得ないものを感じました。『なんてひどい事件なんだ』と言いながら、もしかしたら自分の心の中にもそういうかけらがあったのではないかと、…」

自分も同じように感じたことを思い出し、改めて今どう感じるのか問うことに。

 

もう一つ、「…、人は悲しみから学ぶものは大きい、としみじみ思える自分がいます。『そんな目にあったからそう思うのよ』とも言われます。…」

そんな目にあわないとそう思えない?

 

月曜日には事件の涙「だから ふたりで~JR福知山線脱線事故~」(NHK)という番組を見、昨日は池袋暴走事故のご遺族が顔を出して記者会見する姿を見、他に例えば、拉致被害者家族連絡会の救出活動など、どう向き合えばいいのかと。

 

一つの答えが「一緒に考えていこうと寄り添うことが、もしかしたら進むエネルギーになるのではないか」とあった。

私は「そういう目にあった」人間ではない?のに、勝手な被害者意識があるのか「声をあげられない人」に感情移入する。それは「寄り添う」ことになっているのか、よく分からない。

 

 

私なりの要点

 

社会のありよう

障害や性的指向をはじめとするマイノリティに負のレッテルを貼り、排除する。

『言わなくちゃわからない』

『加害者は口を閉ざすが、被害者は話すことで快感を得ているんじゃないか』

『被害者の遺族が何事もなかったかのように話していて、前を向いているんだなという印象を受けた。これほど大変でも何事もなかったかのようにされているんだなと驚いた』

世間の常識は必ずしも被害者に味方しない。

「悲しみを表しにくく、悲しみを受け入れにくい世の中になっている」

「経済優先、利益優先の社会になっているからなのではないか」

 

被害者側のありよう

自分の中の内なるスティグマ(負の烙印、この場合は恥)が自分を苦しめている。

サバイバーズギルト(生き残った人が抱く罪悪感)に苦しむ。

悲しみは解消しなくても、封印せずに語り、ほぐすことによって孤立を解消することが必要。

小さなことでもいいから人に与えることが自分を生かす。人は悲しみを通じて人と支え合うことができ、人との関係性で自分を生かすことができる。

声をあげられない人もいる。

思い出し、語り直す機会があると、もう一度、亡き人とも自分自身とも出会い直せる。

聞き手に受け取ってもらえないと、話す者はさらに傷ついてしまう。

自分の感情そのままを話すというよりは、受け入れられるように相手の感情に訴える語り方をする場合がある。それは自分の承認欲求のためというわけではない。

 

 

「誰かの悲しみの物語に耳を塞ぐのではなく、聴いて分かち合えたことで、心通わせることができたと思う人がいる。悲しみはマイナスばかりをもたらすわけではありません。悲しみからつながりをつくって、支え合っていく。それは悲しみを被った人だけではなく、誰にとっても、そんな潤いのある社会になれば、きっともっと未来は明るくなるはず。そう願って伝え続けたいと思っています」